〒100-6114
東京都千代田区永田町2丁目11番1号
山王パークタワー12階(お客さま受付)・14階
東京メトロ 銀座線:溜池山王駅 7番出口(地下直結)
東京メトロ 南北線:溜池山王駅 7番出口(地下直結)
東京メトロ 千代田線:国会議事堂前駅 5番出口 徒歩3分
東京メトロ 丸の内線:国会議事堂前駅 5番出口
徒歩10分(千代田線ホーム経由)
セミナー
事務所概要・アクセス
事務所概要・アクセス
<目次>
1. はじめに
2. 長崎地判令和6年1月9日について
3. ペイシェントハラスメントへの対応
(1) 診療の拒否
(2) ペイシェントハラスメントにより成立しうる犯罪
4. おわりに
近年顧客によるハラスメント、すなわちカスタマーハラスメントが社会問題となっているが、それは病院においても異ならない。今年の俳優の広末涼子氏の報道により、医療従事者に対するハラスメントが社会的にも大きく問題視されるようになった。
つまり、病院においては、顧客ともいうべき患者によるハラスメント、いわゆるペイシェントハラスメントが問題となっている。ペイシェントハラスメントとは、「患者・家族等からのクレーム・言動のうち、当該クレーム・言動の要求の内容の妥当性に照らして、当該要求を実現するための手段・態様が社会通念上不相当なものであって、当該手段・態様により、病院職員の職場環境が害されるもの」と一般的に定義されている。
近時、ペイシェントハラスメントにおいて、病院側が患者の家族に対して損害賠償を求めるという注目すべき判例(長崎地判令和6年1月9日)が出ているのでこれを紹介するとともに、ペイシェントハラスメントにどのように対応すべきかについて述べることとしたい。
長崎地判令和6年1月9日は、医療法人Xが、入院患者であったAの長女であるYに対し、いわゆるペイシェントハラスメントを理由として損害賠償等を求めた事案である。
長崎地判令和6年1月9日においては、以下の言動が、違法なハラスメントに該当すると認定されている。なお、違法なペイシェントハラスメントに該当しないという意味は、不法行為としての違法性を帯びないという意味に過ぎず、ペイシェントハラスメント自体には該当しうることには留意が必要である。
違法なハラスメントに該当する | 違法なハラスメントに該当しない |
深夜から未明の時間帯に、治療方法について約40分間、看護師らを問い詰めた行為(「ここの看護師さんたち、そこ考えてくれないのよね。頭悪いのか、どうなのか。ちゃんと見てよって感じなの、こっちからしたらね」等) | 看護師らの面前で、「ここで責任とってもらわなきゃだから、転院なんてせんよねーお母ちゃん」と述べたこと |
日中に約1時間、看護師らを拘束するなどの言動(「あたしが言わなかったら、きっとお母ちゃん死んでいるよ?」等) | 「このまま何もしてもらえないのであれば、公的に訴えます」「胃に穴まであけられたんだから、最後までちゃんと見てもらいたい」との発言 |
夜勤の看護師らを問い詰め、帰宅している師長を呼び出せなどと指示したが、医師の回答にも納得せず、夜間に師長を呼び出すよう指示した行為 | |
「担当なんでしょう~、よろしくね~。最初のうちは厳しいかもしれないけど、ごめんね~」などの発言 | |
看護師らに対する看護内容等についての具体的指示 | |
スタッフの頭を押さえつける行為 |
長崎地判令和6年1月9日は上記のとおり、違法なペイシェントハラスメントと違法ではないペイシェントハラスメントをそれぞれ認定しているが、「違法なペイシェントハラスメント」該当性の判断基準について長崎地判令 和6年1月9日は明確な基準を述べておらず、単に「社会相当性を著しく欠く」、「社会相当性を著しく逸脱した」と判示するに止まっている。パワハラに関する裁判例であるが、甲府地判平成30年11月13日が「パワハラの定義に該当する行為があっても、それが直ちに不法行為に該当するものではないと解され、それがいかなる場合に不法行為としての違法性を帯びるかについては、当該行為が業務上の指導等として社会通念上許容される範囲を超えていたか、相手方の人格の尊厳を否定するようなものであった等を考慮して判断するのが相当である」と述べており、「違法なペイシェントハラスメント」該当性の判断において参考となるものと考えられる。
もっとも、長崎地判令和6年1月9日は、違法なペイシェントハラスメントの事実は認めたものの、病院が主張する病院の損害(看護師らの退職等)との間に相当因果関係があるとは認められないとして、損害賠償の請求を棄却した。また、控訴審においては、長崎地判令和6年1月9日で違法なペイシェントハラスメントと認定された行為のうち、いくつかの行為が違法なペイシェントハラスメントではないと認定されている。
長崎地判令和6年1月9日から明らかなとおり、違法なペイシェントハラスメントとして損害賠償請求が認められることは必ずしも容易ではないと考えられ、医療機関としても、ペイシェントハラスメントに対して法的手続によらない事前の対応策を検討しておくことが重要であると考えられる。
一般的に、ペイシェントハラスメントへの対応策として、以下の3つが挙げられている。以下②及び③について述べる。
① 組織的対応(基本方針を定めるなど、組織としてどのように対応するかを予め明確にしておく)
② 診療を拒否するなど毅然と対応する
③ 警察への相談・通報をためらわない
ペイシェントハラスメントを理由に診療を拒否することについては医師法19条が定める応招義務との関係が問題となる。
医師法19条1項は「診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」と定めているところ、かかる規定は応招義務を定めた規定である。そのため、ペイシェントハラスメントを理由に診療を拒否することがかかる応招義務に反しないかが問題となる。
まず、そもそも、応招義務は医師が国に対して負担する公法上の義務であり、患者に対する私法上の義務ではないと解されていることを理解する必要がある。すなわち、患者が診療を受けられるのは、医師のかかる公法上の義務から生じる反射的利益に過ぎないのである。
次に、診療等を拒否する正当な理由がある場合には、診療等を拒否したとしても応招義務に反しないことも重要である。例えば、令和元年12月25日厚生労働省医政局長「応招義務をはじめとした診察治療の求めに対する適切な対応の在り方等について」は以下のとおり述べる。
診療・療養等において生じた又は生じている迷惑行為の態様に照らし、診療の基礎となる信頼関係が喪失している場合(※)には、新たな診療を行わないことが正当化される。 ※診療内容そのものと関係ないクレーム等を繰り返し続ける等。 |
実際にも、歯科医師による拒否の事案であるが、東京地判平成29年2月9日は以下のとおり判断されている。
「診療に従事する歯科医師は,診察治療の求めがあった場合には,正当な理由がなければ,これを拒んではならないとされているところ(歯科医師法19条1項),平成26年3月24日の診療録によれば,被告Y2は,原告に対し,コミュニケーションが取れないことを理由として,本件治療の終了を通告し,今後電話や来院があっても診療を拒否することを決定したことが認められる。原告(注:患者)の言動により原告と被告Y2(注:歯科医師)との間の信頼関係が破壊されていたと認められることに加え,本件治療が上部構造の装着完了まで実施されていたこと,原告が本件歯科医院から実施済みの治療行為に関する治療費を請求されたのに対し,支払を拒否する客観的に合理的な事情もうかがわれないのに,原告本人の主観的な不満を理由として支払を拒否することが複数回あったこと等の事実関係に照らせば,被告Y2が原告の診療を拒否したことには「正当な理由」があるものと認められ,不法行為を構成するものとは認められない。」
この東京地判平成29年2月9日の判断を前提とすれば、ペイシェントハラスメントを受け、信頼関係を喪失している場合には診療等を拒否したとしても、応招義務には違反しないと解する余地があるものと考えられる。
ペイシェントハラスメントを理由に警察に相談・通報する際に想定される主な犯罪として以下のものが考えられる(令和6年5月「新潟県病院局ペイシェントハラスメント対策指針」11頁から抜粋)。
傷害罪(刑法204条)―人の体を傷つける―15年以下の懲役または50万円以下の罰金
暴行罪(刑法208条)―暴行を加えたものが人を傷害するに至らなかった場合―2年以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料
脅迫罪(刑法222条)―生命、身体、自由、名誉または財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した―2年以下の懲役または30万円以下の罰金
恐喝罪(刑法249条1項)―人を恐喝して財産を交付させた―10年以下の懲役
強要罪(刑法223条)―生命・身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える者を告知して脅迫し、又は暴行を用いて、人に義務のない事を行わせ、又は権利の行使を妨害―3年以下の懲役
威力業務妨害罪(刑法234条)―威力を用いて人の業務を妨害―3年以下の懲役または50万円以下の罰金
不退去罪(刑法130条)―正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求をうけたにもかかわらずこれらの場所から退去しない―3年以下の懲役または10万円以下の罰金
器物損壊罪(刑法261条)―他人の物を損壊し、又は傷害した―3年以下の拘禁刑又は30万円以下の罰金
ペイシェントハラスメントへの対応について近時の裁判例を述べつつ紹介したが、長崎地判令和6年1月9日における判断を踏まえ、医療機関としては、ペイシェントハラスメントへの対応を検討し、場合によっては専門家に相談するなど、ペイシェントハラスメントが生じた場合に備える必要がある。
以上